現在沖縄のお爺ちゃんが危篤状態である。
いきなりこんな書き出しだけど、今まで自転車に乗っていたくらい元気だったので、結構衝撃的だった。現在90歳。病気ではなく、体力の衰えらしい。まだ意識ははっきりとしているそうだ。毎日一缶のビールとゲートボールがおじいちゃんの健康の秘訣だった。方言しか喋ることが出来ないので、意思疎通には親父の翻訳が必要である。身内なのに意思疎通が出来ないというのは非常にもどかしいことで、日本語は聞き取れるのに何でしゃべれへんねん!といつも思っていた。
人の死が近づくと自分の死を考えてしまう。子供のころは毎日死ということについて考えては、真っ暗な死後の世界に絶望したり、不安になったりしていたけど、忙しくなるにつれて生きている実感が湧くからなのか、死というものを全く考えなくなってしまう。そして、病気になるとまた考える。都合のいい生き物だ。肺がパンクして入院したときも、両肺が開いたら死ぬんよーって言われた。大阪環状線に朝乗ったとき、尼崎で衝突事故があった。
2回生の時、3日後にデザイン教えてもらう予定だった人が、事故で亡くなった。当時やってたベンチャーの仲間だった。公園でみんなで花火をやったこと、お昼にマクド買ってきてくれたこと。全て新しすぎる記憶なのに、その人はもう居なかった。事故死は悲しみしか生み出さないということが身をもってわかった。普段は悲しいことがあっても、未来があるから心のどこかで笑おうとするのだけれど、最初から最後まで悲しいまま葬式は終わった。あの思いは忘れられない。
みんな死と隣り合わせなんだよなぁ。自分は90歳まで生きられ無いと思う。生きている一瞬一瞬を、何のために生きるのか。やっぱり何よりも愛する人との家族を大事に暮らして生きたい。若いうちにバリバリ働いて、あとは後世に伝えていく活動をしたいな。さすがにしんみりしてしまった。